伝説のクソアニメ「ぼっち・ざ・なにもないひと」
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たかが1つのゲームから身を引くだけで長々とお気持ち表明を書いてしまうのは
私が「ぼっち・ざ・なにもないひと」であるからに尽きる。
アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の主人公は素晴らしい。
彼女は当初ぼっちであったが、その人生になんの悲壮感もない。
彼女の容姿や中学生の頃から続けているギターの技術は
他人から認められ価値のあるモノであり、自分を支え続けられるモノだ。
かくいう「ぼっち・ざ・なにもないひと」は、ただぼっちなだけで何の価値も無い。
発達障害な上に、形の無いデータに拘り続けたからその人生に積み重ねは無く、
おまけにそこそこ不細工というアニメには出来ない悲惨な内容だ。
若い人間が「ぼっち・ざ・なにもないひと」にならない為には
自分の将来に残るモノを愛し、やりたいと思ったことには挑戦をして
心にあるモヤモヤを1つ残らず燃焼させることだ。
さもなくば20代後半へ差し掛かっても青春コンプレックス丸出しの思想と言動を持った
「痛い」人間になってしまう。
そして自身の支えとなる、周りの人間、趣味特技、価値のある経歴が無い為
ゲーム1つで不安定になり明日が見えなくなる終わった人間になってしまう。
例え他人から馬鹿にされるようなことでも考え付いたならやるべきである。
何故なら、馬鹿にする人間は隙あらばなんでも馬鹿にしてくるし
馬鹿にされるような人間はどんな小さな隙でも見せれば馬鹿にされるからだ。
だから馬鹿にされることなんて気にすることは馬鹿げている。
それよりも「ぼっち・ざ・なにもないひと」にならない為の燃焼活動を行うべきだ。
かつてアイドルに憧れがあったが、誰にもそれを伝えることなく
挑戦の資格を失ってからようやく文字にしている。
挑戦したところで才覚がないのでなれずに終わっただろうが、
「やった」という事実があればそれで良いのだ。
何も得られなかった人生に、後悔だけ抱える未来はあまりにも暗い。
「ぼっち・ざ・なにもないひと」にだけはならない方が良い。
「ぼっち・ざ・なにもないひと」はクソアニメな癖に話数も多い。
クソアニメは観るに耐えないが、このアニメからは目を逸らすことは出来ない為
自身の手で打ち切りにする他は無い。